JR茨木駅から、歩いて10分。すぐ近くに駅前の商業施設が見える場所に、農園はある。都会の真ん中で農業を営む早川訓男さん(49)。母と一緒に「大阪しろな」を周年栽培している。昇格を捨て、就農早川農園のはじまりは、戦後まもない頃。食糧供給がまだ十分でなかった時代に、祖父母が色々な野菜の生産を始めた。大阪しろなは一年を通して収穫ができる。栽培作物は徐々に大阪しろなへ転換されていったという。戦後すぐ、大阪農家らしい話だ。訓
男さんは大学を卒業後、半導体材料の開発に携わっていた。やりがいのある仕事に没頭する日々を過ごしていた。33歳の時のこと、畑を守っていた祖父が他界。農業を継ごうか、真剣に意識したという。会社からちょうど、管理職昇格を打診されていた時期でもあった。 11年働いた会社でキャリアを積むことも魅力的だったが、残された祖母から農業を続けたいとの思いも感じていた。悩んだ末、祖父母の畑を守ろうと就農を決めた。奥さんとはお見合い。「お米はたくさん食べられます」と口説いて結婚し、生まれ育ったここ茨木市下穂積で専業農家に転身した。淡々と、日々細や...