能勢町は、日本の原風景が残る大阪の最北端の町。600~700メートル級の雄大な山々に囲まれ、人里でさえ標高は200~500メートルある。「大阪のてっぺん」とも呼ばれる能勢の気温は大阪市内より平均5度は低く、冬には雪が降り道は凍てつく。
そんな風光明媚な能勢に、いま新規就農者がじわじわと増えている。今回訪れたのは、能勢町歌垣地域の「原田ふぁーむ」。大阪を代表するオーガニック農家であり、農業を目指す人たちの貴重な研修先として新規就農者を増やしてきた実績ある農園である。
まず「歌垣」という地名が気になる。歌垣とは農耕儀礼を起源に、若い男女が春秋の特定の日に山に集まって飲食し、即興の歌を掛け合って求愛、結ばれる習俗で、中国南部や東南アジアの山岳地帯にはいまも色濃く残っているという。その習慣は万葉集にも記述があるほど盛んだったようで、能勢の歌垣山は、佐賀の杵島山、茨城の筑波山とともに「日本三大歌垣」に数えられている。
産消提携運動に邁進
「原田ふぁーむ」代表の原田富生さん(63)が高校を卒業した頃は、高度経済成長時代の終盤。同世代の大半がサラリーマンや公務員になった時代である。あえて富生さんは「都会で働くより」と大阪農業短大に進み、家業の農業を継ぐ道を選んだ。同じくその頃、有機農業や有機農産物が消費者の間で注目され、「産消提携」運動がはじまった時代でもあった。
父のもとで農業をスタートした富生さんは、通常の慣行栽培に合わせて有機栽培にも取り組んだ。ほどなく池田、豊中、東淀川、尼崎、西宮、芦屋へと北摂、阪神エリアを走り回ってお客様に新鮮野菜を届ける産消提携をはじめた。流通を自ら行わなければならないので体力的な負担もあったが、市場や小売店を通さないため、収入も大きかった。
産消提携が運動といえる由縁は、相互扶助・計画生産・全量引取・価格取決・相互理解・自主配送・民主運営・学習活動・適正規模・理想漸進の10か条にある。富生さんの思いにも合致し、運動に身を投じた20代であった。