羽曳野市はデラウェアを代表とする「大阪ぶどう」の主要産地。なかでも駒ヶ谷(こまがたに)地区は、昭和初期には全国出荷量1位を誇る大産地であった。現在も栽培は盛んで、緩やかな羽曳野丘陵地帯を覆うように、一面ぶどう畑が広がっている。
ぶどう少年、世界を探検する
橘谷訓旨さん(42)は、大正時代から続くぶどう農園の3代目。小さい頃は祖父母の農作業を手伝いながら、ぶどう畑を走り回る少年だった。中学生になって次第に手伝う機会は減ったが、幼少期に育まれた自然への思いは変わらなかった。
大学では大自然と触れ合う「探険部」に入部。入部早々に出掛けた探険では、鍾乳洞の激流にのまれて溺れかけたというスリリングな体験も。
長期休みには沖縄での無人島生活をはじめ、チョモランマ登山、ルーマニアやハンガリーなど、バックパッカーとして世界を駆け巡った(後列右、青服で写真に写るのが学生時代の訓旨さん)。
「自然と触れ合う仕事がしたい」。訓旨さんが、再び農業に興味を持つことは何ら不思議ではなかった。大学卒業後はJAに就職。そこで2年間の社会人経験を積み、25歳の時に祖父のぶどう畑を継いだ。
糖度18度以上、樹熟デラウェア
葡萄園たちばなやのデラウェアの特徴は、樹熟させ、糖度18度以上で収穫すること。「デラウェア特有のさわやかさも残しながら、濃い甘みを感じてもらえる状態を常に見極めています」。
夜のうちに水分をたっぷり蓄え、ぱんと実が張った房を、早朝から収穫。一房ずつ状態を確認し、手間を惜しまず出荷をしている。出荷先はJAを通して関東が中心だが、ネット販売や直売所でも購入できる。
隣接する直売所の営業は、7月中旬-8月下旬。デラウェアの収穫が終わる7月下旬頃から、ピオーネやシャインマスカット、サニールージュ、ゴルビーなどの大粒品種が登場する。
5年前には地元の若手ぶどう生産者で「駒ヶ谷ぶどう工房」というグループを結成。地元スーパーの「サンプラザ」に出荷するなど、販路開拓にも取り組んでいる。
また同時期に結成した、羽曳野市と河内長野市の若手果樹生産者(ブドウ、イチジク、モモ、ナシなど)4人のグループ「南河内FRUITIST」のメンバーでもある。パティスリーやベーカリーなど地域の飲食店と協力して、メンバーのフルーツを使ったメニューを開発。創意工夫しながら新たな活動を続けている。
おいしい味は、人それぞれ
大粒ぶどうの栽培は訓旨さんの代から始めた。販売はしていないが、世界最大の品種・ネヘレスコールなど、珍しい品種の栽培にも積極的だ。
「本来、食べものは人によって好みが違うと思うんです。ぶどうなら粒の大きさ、香りや甘みの度合い、皮ごと食べられるかどうかなど、おいしい味は人それぞれ違うのが当たり前ですから」。
4年前に直売所をオープンしたのも、この思いを込めてのこと。「糖度18度以上のデラウェアも収穫したての時は酸味が残っているので、フレッシュな味がするんですよ。味の違いも楽しみながら、直売所で実際に試食をして自分好みのぶどうを見つけて欲しい」とにっこり笑う。
決して意見を押しつけず、相手の気持ちを想像する。世界を旅して出会ったのは、壮大な大自然だけではない。異なる言葉や文化を持つ人たちとの出会いも、夢中で探険をした理由のひとつだった。そんな経験が、訓旨さんのぶどう作りに強く反映されている。