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頭を下げることを知り、仕事に自信とやり甲斐を知る。

射手矢康之さん

( いてややすゆき / 代表、長左エ門 十代目、射手矢農園株式会社 )

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「小学生の頃、おもたせでタマネギを持たされたが捨てた」

関西国際空港の対岸、泉佐野で27ヘクタール(甲子園球場7個分)の広大な農地を、米→キャベツ→タマネギ→米→キャベツまたはタマネギと、2年間で5作を回す巧みなローテーション栽培で収益をあげる射手矢康之さん(49)。

「大阪農業時報」785号(平成30年2月1日)には、「平成8年(1996)にわずか2ヘクタールの自作地を親から経営移譲を受け、数年後より借地を含めた経営をはじめ、規模を拡大、平成27年(2015)に農業経営を法人化した」とある。

現在株式会社となった射手矢農園には従業員が常時10人ほど、繁忙期は20人体制となる大規模農家である。

大阪が全国に誇る泉州タマネギ最大の生産者であり、大阪の農業界を牽引するトップ農家でもある康之さんであるが、のっけの見出しはまさかの一言だった。

屋号は“長左エ門”

康之さんの地元、泉佐野市上之郷には“射手矢”姓を名乗る人が多い。田畑を耕し戦になれば弓を射る半農半武士がルーツといったところか。

ここ大阪府の農村集落でも、隣近所はすべて同じ苗字を持つ人がいても不思議なことではない。康之さんのご近所も射手矢さんがいっぱい。なので、それぞれを区別して呼び合うために屋号を用いるのが常だ。

康之さんの家は江戸時代から代々続く『長左エ門』である。旧い農家の長男として生まれた康之さんは、十代目を継ぐ運命を背負い、厳しく育てられてきたという。

農村集落とはいえ都市近郊であるこの地では、商工業者やサラリーマンを本業とする兼業農家が多勢を占めている。この長左エ門のような農業一本ど真ん中の専業農家はごくわずか。

康之さんは子どもの頃、ちょうど高度経済成長で都市化の波が押し寄せているとき、専業農家の息子であることがとても恥ずかしかった。今風に言えば「農業=ダサい」と思っていた。友達の家に遊びに行くときに親が持たせたタマネギは、持って行くのがとても嫌で道端に捨てていたという。ひどい話だ。

農業の道に入る

康之さんが農業に携わったのは二十歳。正直「嫌々ながらも、跡を継ぐしかなかった」。就農前には農業大学校に通ったものの、実際の現場はそう甘いものでは無かった。「足の上に肥えあり」といった親父の一言一言の指導に「古くさい」などと強く反発した。かえって親がゆえに素直に受け入れることも出来ず、農業のやり甲斐を見出せない時代を数年間過ごした。

「農業は親と一緒に仕事をせなあかんのが弊害」そう思っていた。周りからは「跡継ぎは継げる仕事あってええのう」などと言われるが、跡継ぎには跡継ぎの苦しみがあって、親と一緒に仕事をするのは本当に苦しかった。

けれども「足の上に肥えあり」が「田んぼにこまめに行くこと。行かんと今、なにをしないといけないかが分からない」ということだと、だんだんと理解できてきた。ベテランの親父が築き上げた栽培技術は、いま康之さんに確実に受け継がれている。「いまなお、やっていることは先代と変わってはいない」。

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