「コンプレックスが微塵もなく吹き飛んだ」
26歳、農業青年達が集う4Hクラブの全国大会に大阪代表として参加した。そのときに知り合った同い年の農家、寺田昌史さんの影響は大きい。奈良県葛城市・イチゴ、ハーブを栽培している寺田さんの名刺には“好きやから百姓やってます!”という一言が書かれていた。この言葉がきっかけで、これまでの農業に対するコンプレックスを吹き飛ばすことができたのである。
いまでは家族付き合いもしている寺田さんは奈良の農業界を牽引するトップ農家で、二人は関西の農業界をリードする良きライバルともいえる間柄だ。そして寺田さんの影響を受け、康之さんの思考はどんどん変革を遂げていくことになる。
「地域活動のおかげで販売営業ができるようになった」
農家は一国一城の主。頭を下げることが苦手な人が多く、康之さんもそれが大の苦手だったが、地域活動に積極的に参加していたことが功を奏した。祭礼、ボランティア、保護者活動など地域の活動は、まわりの皆さんにお願い事をする場面ばかり。そこで頭を下げる経験を数多くしてきたことが、販売営業の場面でも大いに役立ったという。
苦労の連続を経て、康之さんのタマネギがシェフやバイヤーの目に止まるようになる。
営業の効果がやっと出だしたころ、当時のグランドハイアット東京総料理長ジョセフ・ブデ氏に繋がった。「きみのタマネギは最高にうまい」そうジョセフ氏に評価されたことで、品質に対する自信とともに農業経営者としてのやり甲斐を見いだすことになった。
「騙されたと思って生でかじってみい!」
康之さんは、実はとなりの町で育った筆者の小中学校の先輩である。
ほかにも地域活動の先輩、農業界の先達…、いわば一生頭が上がらない立場に置かれている。ただ射手矢農園のタマネギ、キャベツは毎年欠かさず食べることができる距離感にある。
地元の先輩なのでここではやみくもに持ち上げるようなことはしないが、射手矢農園のタマネギは名産地・泉州の中でもトップクラスだと思う。有名シェフや百貨店、高級スーパーからの引き合いはもとより、全国各地の一般家庭への宅配の注文も後を絶たない。
「ええもん作ってたら間違いない」と、取材の最中に葉が倒れて収穫適期となった畑から「プレミアム・タマネギ」と呼ぶ大玉のそれを引き抜く。外皮を向いて差し出された。
収穫その場で生で食べて“うまいー!”とか“甘いー!”とかいうタレントのような演出は、はっきり言って嫌いである。だいたいそもそも味知ってるし…なんて頭に思いながらも、先輩から後輩へ一度は経験するであろう“食え”という、当然のような要求には逆らえず、リンゴをかじるようにかぶりついた。
断面から滲み出る旨味の水分が口の中に広がった。水にさらさず生でかぶりつけるタマネギはそうは見かけないのだが、射手矢農園のタマネギはまさにそれ。
この新タマネギで今晩オニオンスライス、カツオ節と醤油で一杯やろう! とおいしい想像をかき立てられていた。料理人ならもっと発想豊かに考えるのだろうか。
実際、射手矢農園のタマネギが食べられる心斎橋のフレンチ“ドゥアッシュ”の中田シェフはタマネギパフェを提供してくれるという。うん、食べてみたい。