南さんちの朝穫り野菜、直売所
近鉄長野線 富田林駅からクルマで約30分。府道201号線沿いにある、上佐備(うえさび)バス停のすぐ近くに「生産直売 南さんちのやさい・くだもの」と書かれた間口10メートルの建物がある。クルマ4台分の駐車場を完備。ここは南農園で朝に収穫した農産物やその加工品が並ぶ直売所である。
入り口に置かれていたのは、色鮮やかな箱入りみかん。SSから、S、M、Lまである。卸売市場経由では、見かけることの少ないSSサイズのみかんが買えるのは、生産者直営の直売所だからこそ。規格外で市場出荷できないものは「南さんちのちょいワル野菜」の札付きで、陳列棚に並んでいる。美味しさに変わりはない。
直売所の品揃えは多様。みかんのほかにも、真っ赤ないちごや黄色いレモン、グリーン鮮やかな難波ネギ、ミズナやわさび菜、かぶ、菊菜、パクチー、白ネギ、アイスプラント、ゴボウ、サツマイモ、タマネギ、サトイモ、ジャガイモ、ダイコン、小豆、黒豆、ポップコーン、金ゴマ、お米、梅干し、「富田林ブランド」に認定されたいちごのコンフィチュールなど。見ているだけでも、ワクワクする。
南農園4代目、就農の岐路
出迎えてくれたのは、南信宏さん(44)。「はじめは、農業をやろうと思っていなかったんです」。高校を卒業後、大阪電子専門学校に進学、電気工事の仕事に携わっていた。いつかは農業を継ぐかもしれないという思いはあったが何十年か先でいいかな、と思っていた。
26歳の時、人生の岐路に立たされる2つの事件がふりかかってきた。1つは、会社からのリストラ宣告。もう1つは、当時の彼女にプロポーズし、OKをもらったことである。婚約者のご両親を安心させ、信頼して頂くため、信宏さんには一寸も迷う余地はなかった。「農業やったろかい、って思ったんです(笑)」。かくして、南農園4代目が誕生した。
フードマイレージ、世界一
もと、みかん農家だった南農園。オレンジの輸入自由化(1991年)、みかんの消費量低下や供給過多による価格低下などを背景に、父の代から、ハウスにおける野菜栽培を開始。市場出荷をするようになった。
直売所のオープンは約20年前、母の発案だという。取材時、同席いただいたお母さんにお名前をたずねると、満面の笑みで「オオサカナオミでぇす」とタイムリーなネタで自己紹介してくださった。母の名は「直美(ナオミ)」さんだ(笑)。
「野菜やみかんを欲しいと言ってくれる人がいたので、ここで直接販売しようってことになったんです。あ、私の写真は撮らんといてね」。そう言うと、お母さんは畑に去って行った。
みかん畑の一角、道路沿いにつくった直売所は、南農園の出荷調整作業場所でもある。畑から収穫してきたばかりの農産物を顧客の目の前で選別し、あるものは市場出荷へ、あるものはそのまま店頭へ並べる。直売所の農産物は、どこよりもフードマイレージ*最小を誇る農産物である。
*フードマイレージ(food mileage)とは、食料の輸送量に輸送距離を掛け合わせた指標。生産地と消費地が近いほど値は小さく、環境負荷も小さいとされる。
もみがら堆肥で、循環型農業
直売所の真横には階段がある。階段はみかん山への入り口である。急な傾斜面を登ると、見晴らしのいい景色が広がる。温州みかんの収穫は終わっていたが、柚子や甘夏はまだまだ鈴なり。樹で完熟させてから収穫する。
南農園には、みかん山のほか、田んぼ、ビニールハウスと露地の畑がある。2018年の台風21号では、ハウス1棟全壊という惨事に見舞われた。いまは、半壊したハウスを再建。農薬や化学肥料は極力使用しない。土づくりには、もみがらを使用した特製の堆肥を投入している。
もみがら堆肥をつくるのは「富田林土壌改良研究会」。良い農産物をつくりたいという思いで、1981年8月24日に結成された。信宏さんも、21名いる会員の一人だ。もみがらは、自分たちがつくる米のもみがらを使う。出荷先であるJA南大阪ライスセンターから調達し、米ぬか、油粕、発酵菌を混ぜて堆肥とする。堆肥場には想像を絶するスケールの堆肥の山があり、思わず息をのんだ。
材料は12月、会員全員で散水しながら重機を使って混ぜる。12月のうちは10日ごと、年明けから3月までは2週間ごと「切り返し」を行い、3月上旬にようやく完熟堆肥が完成する。地域ぐるみで、循環型農業を実践している。