転機は、八尾堆肥研究会
就農は24歳の頃。親戚が経営する土建業で2年ほど経験を積み、農業を継いだ。祖父の代から始まった若ごぼう栽培技術を習得しながら、生産を続けていた。
転機となったのは、2002年に結成した「八尾堆肥研究会」。孝明さんがリーダーとなって地域に声を掛け、同世代7名が集まった。
会の姿勢は「より高品質で美味しいものにこだわり、本気で農業に取り組む」。メンバーには、八尾えだまめのほか、1950年代まで特産だった恩智イチゴを再び盛り上げる生産者もいる。
「農業は一人でやるんと違うねん。土作りだけでもそう。新しい方法を7人で試せば、7人分の知恵が集まる。他のメンバーが自分よりうまく作ったら、負けてられへん、ってやる気も出るねん」。
イラストが大きく描かれた出荷袋も、孝明さんが考案した。夏が旬の「八尾えだまめ」の宣伝もしっかり。「うまいでっせ!」と書かれた文字は、活動に裏付けされた確かな自信の表れだろう。
着実な努力が実る。2013年には「八尾若ごぼう」が地域団体商標に登録された。大阪では「泉州水なす」に続く、2番目の登録だった。八尾堆肥研究会の活動が一役買ったといっても過言ではない。
変わらないこと、変えていくこと
「土の耕し方、畝に落とす種の量、水をあげるタイミング。これまで思いつく限りの方法を試してきたけど、まだ一度も完璧な若ごぼうを作れたことがないんですわ。栽培方法はこれからも試行錯誤を重ねて、いずれは皆に真似してもらえる最高の若ごぼう栽培マニュアルを完成させ、次世代へ継承していきたい」と熱く語る孝明さん。
一方で、冷静な視点も忘れない。いま、市内の若ごぼう農家は約100軒。年々減少しており、今後も減少傾向は変わらないと予想する。
「昔やったら、マニュアルなんていらん、身体で覚えろ、という世界やったけれど、これからは違う。伝統を残すために、変わっていくことも必要やと思ってます」。 昔からそのままで、変わらないように感じる伝統野菜だが、決してそうではない。1m以上に育つことが特徴とされる若ごぼうも、30年前はここまで長くなかったという。
「変わらなくてもよいものは、良い野菜を作るという姿勢と、地域への思い。その姿勢と思いを承継するために、変化していかなければならない」。
時代変化に応じて変わっていかなければ、生き残れない大阪農業。そこには常に柔軟な発想と冷静な判断が求められる。でもそれは、良い野菜を作る姿勢と地域への思いという変わらない意志を受け継いでいくためである。孝明さんの真剣な眼差しと、若ごぼうを担いで歩く背中が、そう語っているようだった。
取材日 2019/2/26
記事 川嶋亜樹
写真 田村和成
- 氏名 / ふりがな
- 松岡孝明 / まつおかたかあき
- 生年
- 1965年生まれ
- 農家歴
- 30年
- 前職 / 出身校
- 土建業
- 組織名
- 松岡農園
- 役職
- 代表
- 従業員
- 3名、パート15名
- 主な生産作物
- 若ごぼう、枝豆、青ねぎ、落花生
- 耕地面積
- 1.7ヘクタール
- 特徴
- 地域の若手生産者と協力して伝統野菜を守る
- JAエリア
- JA大阪中河内
松岡農園
大阪府八尾市恩智北町