「アーバンファームASAOKA」の浅岡弘二さん(43)は、南河内の地元をはじめ、農業界で「アサジ」のニックネームを持つ「アニキ的農家」だ。「アサジ」は浅岡の「浅」、弘二の「二」をとったもの。まことに親しみやすい名前だ。
富田林の中心市街地から一級河川「石川」を渡った一大農業地帯、西板持町にアサジさんの農園がある。その中心に位置する板茂神社(いたもじんじゃ)の門前でアサジさんは生まれ、幼い頃から境内で遊んで育った。
地元のだんじり祭りとともに
五穀豊穣を祝う西板持町のだんじり祭りは、10月中旬におこなわれる。太鼓と鉦、南河内特有の「曳き唄」と呼ばれる音頭に合わせて地車がゆっさゆっさと曳き回される。その姿を見ると、まるで盆と正月がいっぺんに来たような賑やかさがある。「秋が近づくとソワソワするんわかるやろ!?」。見た感じの陽気な雰囲気も含めて、アサジさんが根っからの祭り好きであることが一瞬でわかった。
10~20代はイケイケの青年団としてヤンチャしていたアサジさんであるが、40代を迎えた今では、村方(むらかた)と呼ばれる地域の取りまとめ役。気配りも大変だが、だんじり祭りへの熱い想いは失せない。その熱は、農業にも通じているようだ。
「ナスビに育ててもらったようなもんやから」
23歳、当時は板金工として活躍していたアサジさんは実家暮らし。光熱水道費がわりに収穫作業を手伝っていたが、「なんで休みの日まで手伝わなあかんねん」と思っていた。
ある日、お祖父さんが病気を患ったことで、一緒にナス・キュウリ農家をしていたお父さんが窮地に立たされていることを知る。父の均さん(70)は当時50代、脂の乗り切った現役世代。そのころ「アーバンファームASAOKA」を名乗ったのも均さんだ。
親父さんとは今のように「仲は良くなかった」というが、「親父が頼んでくることは滅多にない」と意気を感じて農業に転身することを決断した。アサジさんの本格的な農業の道がここからはじまる。
大阪なすのPR隊長
今年、「JA大阪南茄子部会」の仲間とともにアサジさんがリーダーとして取り組んだのが、「大阪なすを食べてもらおうプロジェクト」だ。知る人も多いだろう。大阪市内を中心にセブンイレブン171店舗で販売された「大阪なすの麻婆茄子丼」は初日に2,600食が完売。期間終了まで軒並み完売となり大阪なすの知名度は一気に上がった。
あわせて大阪の飲食店舗22店で行われた「大阪なすのメニューフェア」も大盛況だ。取材の最中、メニューフェア参加店の一つ「SEEDりんくう店」の寺前副店長が大阪なすを買い付けに来た。毎日取り寄せなければいけないほどの売れ行きで「大阪なすの煮びたし とろろ昆布のジャポーネピッツァ」と「大阪なすのポタージュスープ」の評判が特に高いという。
アサジさんにも食べてもらいたいと大阪なすのピッツァを持参、アーバンファームASAOKAでは農家と飲食店の交流も日常の風景になっている。フェア終了後も旬のメニューとして定番化してくれることを望みたい。