和泉山脈の山麓、大阪府和泉市仏並(ぶつなみ)町。地名に通じる「天王山佛並寺」は高野山真言宗の寺院で、和泉西国三十三箇所の二番札所だ。地域内には縄文時代の遺跡があり、竪穴住居やシャーマンのような土面も発見された有史以前の歴史を持つ山村である。
近年は国道170号沿いに道の駅「いずみ山愛の里」がオープン、山間部には東西2つの農業団地が拓かれるなど、仏並町は和泉市の重要な農業拠点の一つとなっている。その仏並町で、レストランやホテル、ブライダルの披露宴など、華やかな場面で欠かせない珍しい野菜を生産しているGreenGroove代表の中島光博さん(39)を訪ねた。
素人集団で農業会社を起業
中島さんは広島県出身。関西の大学を卒業した後、フリーターで生計を立てながらサイコビリーのバンド活動に没頭する。24歳になって「このままではまずい」と思って派遣会社に登録した。
はじめての派遣先はコンピュータ周辺機器大手の一部上場企業。農業の道に入るまで続けた職場だった。配属はデザイン部。取扱説明書の作成を主な任務とする、テクニカルライターとしての会社員生活がはじまる。就職翌年には正社員になり、次第に大きな仕事も任され、何も不満が無い本当に良い会社員生活だったと振り返る。
ところが29歳の時、「一緒に農業会社を立ち上げないか」と友人に誘われて一念発起。慣れ親しんだ会社を辞めて、企業からの出資を受け会社を立ち上げた。
友人が社長、中島さんが農場長。明るい未来を描いて水耕栽培をスタートしたが、計画通りにうまくいかない。やがて資金繰りも苦しくなり倒産の危機が迫ってきた。導入したプラントメーカーの試算通りに生産できなかったのだ。この中島さんの波乱万丈物語は、湯川真理子さんの著書「宝は農村にあり 農業を繋ぐ人たち」(西日本出版社 2017年発行)に詳しく書かれている。
起死回生がはじまる
中島さんに限らないが、脱サラして退職金を元手に、足りなければ借金もして設備投資に大金を注ぎ込んだものの、農業経営が軌道に乗らず、最後は丸裸、そんな話は少なくない。新規就農は困難を伴うことが多く、安易に儲かるような錯覚を抱いてはいけない。
だが中島さんは違った。2014年に友人だった社長から負債ごとハウスを買い取り、自分がオーナーの農園「GreenGroove」を立ち上げる。大きな借金を背負ったが、なんとか農園を軌道にのせることに成功したのだ。
独自の水耕栽培方法で生産効率が飛躍
ハウス内に入るとびっくり。水耕栽培が地面で行われていた。正確にいえば地面の上に水耕栽培のプールが置かれているのだ。これまで見てきた水耕栽培は、腰よりも高い位置にプールを設置する高設ベッドなど、いわゆる高設栽培と呼ばれているものだったので、この光景には正直驚いた。
中島さんはこれまでの経験から、敢えて大規模な設備投資費用を要する高設栽培にこだわらず、直接地面に据置く方法をとった。低い位置で作物を育てていても体への負担がないし、むしろ地面に近い方が安定した地温の効果で品質の良いものができるという。
売り上げも伸びて、ハウスを増設しただけでなく、スタッフの週休2日制も実現した。