古(いにしえ)より人気のくだもの、「無花果」と書いて「いちじく」と読む。花が無いから無花果ではなく、果実の中のツブツブこそが花なのだ。いちじくの美味さを際立たせているのは、花のあの歯ざわりだと思う。
いちじくは古くから人々を魅了してきた。メソポタミア、エジプト、ギリシャ、ローマでは紀元前より栽培されていたという。古代より女性に人気で世界三大美女の一人といわれるクレオパトラの大好物でもあったとか。いちじくはまた現代の女性にも人気だ。
古墳の街に、いちじく産地
大阪南部にはたくさんの古墳がある。世界遺産をめざす百舌鳥・古市古墳群のことを知る人も多いだろう。古墳好きの若い女性を指し、「古墳女子」という言葉も生まれた。
いまなぜ古墳が面白いのかという話は2018年秋発行の『ザ・古墳群~百舌鳥と古市 全89基』(140B)を読んでいただくとして、日本一の高さを誇る応神天皇陵古墳がある羽曳野市誉田(こんだ)に大阪一のいちじく産地があったのだ。
夏の一日、墳丘の麓に一面のいちじく畑が広がる藤井農園を訪れた。
大阪で、ハウスいちじく栽培
園主は藤井貫司さん(38)。神戸大学発達学部を卒業して医療法人や貿易商社などに勤務し、8年間のサラリーマン生活を送った。
在勤中にご両親が生産するいちじくのネット販売を立ち上げ、直売の手伝いをしているうちに、農業の可能性を見いだすことになる。サラリーマンを続けるか、農業を継ぐか悩んだが、「あかんようになったら、わたしが働きに行くから」と妻、歩さんの後押しもあって、6年前の2012年に就農。「しかし、肝心の親があまり賛成してなかった(笑)」そうだ。
藤井農園は、大阪で唯一いちじくのハウス栽培を営むことや、販売において顧客に対する丁寧な接客姿勢から、「大阪を代表するいちじく農家」といわれるようになっている。いま藤井農園は世代交代し、ご両親は貫司さんのサポートにまわる。
羽曳野のいちじく産地化に貢献したのは、曽祖父である。それが60年前のこと。続いて祖父が、露地栽培に併せてハウスを設営。ハウスいちじく栽培を始めた。
収穫はハウスものが5月~7月、露地ものが8月~10月。藤井農園のいちじく出荷は半年続く。産地化を進めた曾祖父とハウス栽培を始めた祖父の開拓精神、そして高い父の経営意欲は、四代目貫司さんに受け継がれている。
つながりを大切にする農家をめざして
貫司さんは2009年にホームページを作成し、オンラインショップをスタートさせた。出荷組合を通じたイズミヤへの出荷、道の駅への出荷、マルシェでの対面販売、自宅直売所での販売、電話注文、ファックス注文など、多様な販売方法を組み合わせて顧客を獲得し、販路は一気に拡大した。
ホームページに留まらず、2011年にはフェイスブックページを開設。時期ごとの農園情報発信や農業体験イベントの告知、予約注文受付、手伝いボランティア募集、そして収穫祭の案内など、消費者を飽きさせない取り組みを企画、発信している。