目指すは「農の匠*」である父。尊敬する人物は深井(堺市)の地に井戸を掘り、人々の生活を豊かにした奈良時代の高僧「行基(ぎょうき、668-749年)」。堺市中区に本社がある株式会社しものファーム代表の霜野要規さん(48)は、歳を重ねてなお、常に己を見つめ、謙虚な姿勢を崩さない。
*農の匠とは、大阪府知事が認定する制度。農業経営に優れ、若手育成や食育に熱心な地域農業のリーダーが対象。大阪府に94名(2019年1月末現在)。1993年、霜野繁治が認定される。
関西初の小松菜生産
広大な圃場(ほじょう)で小松菜を生産するしものファーム。今や大阪を代表する農業法人である。
いまを遡ること約40年、1980年に現会長で父の繁治さん(78)が小松菜の専作を開始した。小松菜は関東生まれの葉物野菜。当時、関西での知名度はまだなく、栽培する生産者もいなかった。
父、繁治さんは小松菜の栄養価の高さや連作が可能で土地が有効に使えることに着目。栽培、出荷とも、関西初といわれた。そのとりくみが後、農園を大きく成長させる。
当初3年は赤字が続いた。需要拡大と販売に注力し、4年目に乗り越えた。いち早く、減農薬にも取り組んだ。いま、冬は完全無農薬、夏は2~3回の使用で栽培している。
農の匠の跡継ぎに生まれて
「人の暮らしと健康を支える農業に、誇りを持たなあかん」。こう繰り返す父は根っからの農業人。長男である要規さんは、物心がついた頃から父の背中を見て育ち、その仕事ぶりに、いつしか憧れを抱くようになっていた。
父でなく「会長」と呼ぶのも、その表れだろう。農業の道を志したのも、自然のなりゆき。大学卒業後まもなく就農、今年で25年目を迎える。
小松菜栽培に、妥協なし
農園を訪れ、まず案内されたのは178アールの大型連棟ハウス。一面に広がる小松菜畑は、思わず息を呑むほどの壮大さ。しんと静まり返った空間には、神聖ささえ漂う。
堺市南区、ここ長峰ハウスは2004年に完成。「会長の信念が凝縮されている施設です」と要規さんが話す通り、考えうる限りの工夫が盛り込まれている。
もと粘土質だった土壌に、分厚い砂利とミネラル分の多い国産の海砂を投じて改良。畑に使う肥料と堆肥は、すべて有機成分。自動潅水装置で撒く天然水は、地下200メートルから汲み上げる。収穫後の洗浄にも天然水を使う徹底ぶりだ。
温度センサーを稼働させ、ハウス内を最適温度に保つ。雨を感知すれば屋根が自動で閉まる仕組みも施されている。小松菜栽培に、至れり尽くせりの環境である。
機械化が隅々まで行き届いた施設だが、生育を左右する水の量やタイミングは、実際に目で見て確かめる。「水やりの作業だけは、未だに会長に任せてもらえません」。
その日の温度、湿度、風向き、1週間後の天気、ハウス内の状態。会長は長年の経験と感覚に基づき、1秒単位で潅水装置を微調整する。その回数は、1日に8回。手書きのメモを確認し、無数のボタンを操作する。
以前、父が入院したことがある。その際も、父は電話で状況を聞き取って、病床から指示を出したというエピソードがある。小松菜栽培に妥協を許さない。