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マイ農家。生産者、畑と直接つながる豊かさを提唱。

辻晃佑さん

( つじこうすけ / F.C.農縁 )

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未来の子どもたちへ、農の縁を繋ぐ

「学校給食に野菜を出荷する目標が叶ったんです」。そう屈託のない笑顔で話すのは、就農8年目を迎える辻晃佑さん(37)。JR阪和線「和泉府中駅」からクルマで約5分。生まれ育ったここ和泉市和気(わけ)町で、農薬や化学肥料を使用しない有機栽培農法を実践している。

晃佑さんの農園は「F.C.農縁」という。名前にあるFとCは、Future(未来)とChildren(子どもたち)の頭文字。今年育った大きなタマネギは、畑から見える母校・和泉市立和気小学校をはじめ、市内4カ所の小中学校に出荷。「未来の子どもたちへ農業を繋げたい」との思いを形にしている。

カズに憧れ、サッカー留学

農園の名前「F.C.」はFootball Club(サッカークラブ)の略でもある。少年時代、晃佑さんの夢はサッカー選手。その熱意は中学3年生と高校3年生の夏休みにブラジルへ短期留学したほど。「15歳でブラジルに渡って日本代表への夢を掴んだカズ(三浦知良)に憧れて。親に頼み込んで留学させてもらったんです」。

Jリーグでも活躍したフリーキックの名手、エドゥーから直接レクチャーも受けた。「治安が悪いからと、親は親戚中に猛反対されたらしいんですけどね。当時は僕に黙って、したいようにさせてくれました」と両親への感謝は尽きない。

大学はサッカー王国・静岡に進学。同世代との体格の違いにプロを目指すことは諦めていたが、悔いのない4年間を過ごしたかったという。大学時代に出会った奥さんは、穏やかに話す。「静岡から都会へ嫁いだつもりが、地元よりさらに自然あふれる場所に来てしまいました」。いま、農作業や出荷作業も手伝うなど、新たな夢を応援してくれている。

有機農業に出合い、農家の道へ

大学卒業後は、雑貨メーカーに就職した。東京で営業として働く日々に、転機が訪れたのは26歳の頃。仕事先で知り合ったNGOスタッフの存在が人生を変えた。「有機農業は本来、自然環境に配慮した農法であることを教えてもらったんです」。

もともとサッカーをしながら食事にも気を使っていた、晃佑さん。「オーガニックには関心がありました。自分の健康にいいことが、自然を守ることにもつながる。なんて素晴らしいんだ、と感銘を受けました」と目を輝かせる。

一気に有機農業の魅力に目覚め、週末は勉強会にも参加するようになった。昔から思い立ったら即行動するタイプの晃佑さん。着々と準備を始め、滋賀県甲賀市や兵庫県で研修を積み、帰郷。祖父母が持っていた土地を耕して、2011年に就農する。ちなみにF.C.農縁の開業届日は同年11月11日。偶然にも「11」は憧れたカズの背番号だった。

おおさかNo-1グランプリ、決勝進出

2018年には「第3回 おおさかNo-1グランプリ」に挑戦。「農福連携×キッチンカーから始めるF.C.農縁のマイ農家プロジェクト」と題して、決勝の舞台に立った。

晃佑さんが定義する「マイ農家」とは、消費者が生産者と直接繋がり、各個人が顔なじみの生産者や行きつけの畑を作ること。作物だけでなく、農作業などの栽培、土や生き物などの自然まで、農にまつわるあらゆる情報を共有したいという。

「F.C.農縁」では、安定した出荷量や価格はもちろん、農福連携やキッチンカー活用に取り組み、より社会との繋がりを増やしていきたいと話す。「マイカー、マイホームのように、農業を身近に感じることが豊かさの象徴になって欲しい」。優勝はならずとも、スティーブ・ジョブスに扮してプレゼンを行った度胸も話題を集めた。

大会終了後の3月には、和泉中央駅前でキッチンカーでのスープ販売にチャレンジ。ふだん、取引のある堺市のオーガニックレストラン「畑キッチン結」とのコラボで、にんじんポタージュを販売し、大好評だった。次の目標はクラウドファンディングで、キッチンカーを手にすること。「色々なところに自分が出向いて、野菜本来のおいしさを伝えたい」と熱く語った。

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