子どもの時からオリジナルぶどうを食べて育った筋金入りのぶどうっ子
中村一俊さんは、大学農学部卒業後の23歳で迷わず就農した。学生時代から仕事は手伝っていたそうだが、自分のことは「僕なんかまだまだペーペー(新参者)です」と謙遜する。子どもの頃から、ぶどうに囲まれ、オリジナルぶどうも普通に食べて育った。おじいさんの代からぶどうの品種改良をスタートさせ、三代目園主で父の惠俊さんも交配を続けており、一俊さんの師匠でもある。
「毎年来てくれるお客さんは、今年は新しいぶどうないの?って、簡単に言うんです。そんなに毎年できませんよ」。たしかにその通り。しかし、お客さんがそう言うのも無理はない。絶えずぶどうの品種改良を重ね、世界のどこにもない多種多様なぶどうを10種類以上も生み出しているからだ。
納得のできる味に出会う確率は1%にも満たない。2つの品種を掛け合わせては種をとり、良いものを選んでは育てる。数えきれないくらい、何度も何度も交配を重ね、交配しては種を取り、植えて育てる。この繰り返しである。
失敗したぶどうの木は切る。祖父の代から今まで、何本もの木が切られてきた。「どの木が残るかの残らへんかは、実ができてみなわからん」と惠俊さん。
「今年も僕がまだ食べたことがないぶどうができてる」と一俊さん。後ろの方でぶどうの箱詰め作業に追われながら、惠俊さんがにやっと笑っている。どうやら収穫はまだのようだ。
ぶどうと会話ができて一人前
「まだまだ僕は、ぶどうと会話できない。小さな変化に父は気づくんですが、僕は気が付かないことが多いんです。枝の伸び方を見て肥料が足りないとか、水が足らんとか」。
まだまだ、父・惠俊さんには学ぶことが多いようだ。ぶどう園には、収穫し販売するためのハウスが80アール、それ以外に育種するためのハウスが20アールもある。
「今はどんな新品種をめざしているんですか?」と聞くと、「皮ごと食べられる品種。色はできれば赤がいい、鮮やかな赤色が良いです。そして香りがあるぶどうですね。お客さんは、甘いぶどうが好きな人が多いんで、コテコテに甘いぶどうを目指してますね」。新しいぶどうの品種のことを語るとき、一俊さんの目がきらりと光った。
【 取材者 】 湯川真理子
【 撮影者 】 田村和成
【 取材日 】 2019年7月24日