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畑に出ます。いいものは畑に出ないと作れないから。

杉本三織さん

( すぎもとさおり / まるさんふぁーむ )

  • 南河内
  • JA大阪南
  • 青葱
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畑は、街の緑である

近鉄の富田林駅を背に石川を渡る。市街地をクルマで抜け、待ち合わせ場所のコンビニから到着を告げると、「遠くまでようこそ」と快活な声が電話口に聞こえた。案内通りに道を行くと、すぐ先に上下黒、長靴も真っ黒の女子が立っていた。

白い歯を見せニッと笑っている。まるさんふぁーむの杉本三織さん。藤井寺出身、38歳。2015年に独立し、富田林で青葱の生産をはじめた。

道の脇には青葱の畑が広がる。畑を囲んで用水路が流れる。水は石川から引く。道向かいにはマンションが建ち、マンションを見上げて三織さんが一声。「この辺りの人は幸せやなあと思います。だって窓を開けると、空も緑も目に入ってくるんですから」。

畑を「街の緑」と見立て、その風景に「人の幸せ」をみる。名刺の肩書は「作り手」とある。都市で、農家で、青葱で生きる三織さんの現場をたずねた。

青葱一年、12トン

青葱の仕事は「朝4時半から」という。「夜は20時ごろまで働くかなぁ」。種を撒くのも、収穫するのも、クルマの運転も、納品も全部一人でする。「わたし、ひとりやから」。

平均したら「10日に一回は、青葱の種を撒いてます」。出荷は毎日。「年間通して、青葱を食べてもらいたいから」。年の収量は12トンになる。

ひと月1トン。毎日にすると30キロ超を、女手ひとりで卸している。

夏は彩り、冬は味わい

作物は「年中、ねぎです」。青葱一筋の三織さんに、あえて青葱の旬をたずねた。「年明けから、3月までかな」。青葱の旬は冬だという。「寒さにあてないと、とろみが出ないんです」とのこと。青葱は冬、味がのる。

「でもね」と続けた。「夏、そうめん食べるのにも上に青いのがなかったら、さみしいじゃないですか」。夏の青葱は彩り。夏も冬も三織さんは青葱を作る。夏は彩り、冬は味わい。三織さんは夏と冬で育てる青葱の品種を変える。

500以上ある青葱の中から、三織さんが選んだ品種は2つ。冬は雷王(らいおう)で、夏は冬彦。「雷王は、太く育つ」。味も重さものる品種。「冬彦は、濃い緑」。しゅっと細く、青々と伸び、高温期にも色落ちがない品種。「スーパーに並ぶ夏の葱って、白いでしょう」。葱が青いから青葱なのだ。青いから美味しいのだ。

青葱は、ゆっくり甘くなる

「化成肥料は使いません」。土づくりについてたずねた。「化成は瞬間、効くんです。でもそれは、ムリヤリ育てていることになる」。牛糞も鶏糞も使わない。土の力だけで時間をかけると、甘みがのった青葱が育つという。使うのは「バーク堆肥と、もみ殻だけ」。山のバーク(樹皮)を原料とする堆肥と、近所の米屋さんからもらうもみ殻を一年寝かせて、土に混ぜる。

富田林は粘土質の畑が多い。混ぜることで畑の水持ちがぐんとよくなるという。植物は植物肥料で育てたいという。「ね、柔らかいでしょ」。手ですくえる土。三織さんの手から、ほろほろと土がこぼれた。

女でひとりで、6000平米

三織さんの畑はのべ6反、6000平米になる。それをひとりで一年まわす。半分の3000平米は施設栽培。冬は温室で青葱を育てる。もう半分の3000平米は露地栽培。夏は露天の畑で育てる。

種を植え、収穫まで3か月。収穫は株ごと抜く。処理をして、袋詰めにし、根は不要という販路へは根を刈って納品する。スーパーへは根をつけたまま卸す。畑の土が柔らかいから、三織さんの青葱は根が長い。

「この根っこが、うちの自慢なんです」。洗うと透き通るように白い。白い根に作業台の黄色が透ける。不要で刈られる青葱の根にまで、三織さんの意識は行き届いている。

東京で、広告会社の営業時代

三織さんは社会人を、人材会社のOLとして始めた。人材募集を任せられ、募集広告に関わるうちに広告会社の営業へ転身。22歳から25歳を東京で過ごす。初めて住んだ東京は、調布市のつつじが丘。

「緑が多くていい場所でした、でも」。でも、なんでしょう。「虫が出たんです。わたし虫が苦手で引っ越しました」。虫が苦手でいま農家。三織さんに農業とのなれそめを聞いた。

藤井寺、おみくじのお告げ

きっかけは営業時代、電車の中吊り広告だった。本の広告で、見出しは「農業が日本を救う」。忙しかったし、いろいろあったし、「救われたかったのは、わたしです」。その本を買い、読んだ翌日、社長へ最短で会社を辞めたいと談判した。

「一本気ですね。思ったらすぐ行動せんと気が済まないんです」。この時、三織さん27歳。退社が決まり28歳。香川のレタス農家へボランティア・バイトで飛び込む。

半年働き、年明けの2010年正月、地元の藤井寺へ初詣をする。おみくじを引くと「このおみくじにあたる者は、農業の時を得て種を撒き、苗を植えるがごとし」とあった。「もうOLには、戻らない」決意をし、それからは和歌山へ、長野へ、また香川へ、淡路島へ。産地農業の里へ飛び込み農家修行を重ねた。33歳になっていた。そろそろ地元で独り立ちしたいと、大阪へ戻る決意を固めた。

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