堺市南区、泉北高速鉄道の光明池駅(こうみょういけえき)を降りた。乗降客は一日3万人、駅界隈は近代的な街並みである。
大手レストランチェーンとの契約栽培
15分歩くと、「にしかわ農園」に到着した。場所は、ニュータウンと里地里山が交差する、和泉市室堂町にある。駅に近い! という驚きとともに目に飛び込んできたのが「がんこ指定農園」の看板。
寿司・和食を中心に関西各地と東京へチェーン展開する、あの有名な頑固オヤジの絵が、入口にどかんと掲げられていた。本日お伺いする西川光一さん(58)も頑固オヤジなのか? と恐る恐るご挨拶を切り出すと、仏のような笑顔で迎え入れてくれた。
にしかわ農園は広さ、約2ha。体制は、光一さん家族5人と従業員さん6人の11人。トマト、水なす、千両なす、オクラ、ネギ、太ネギ、水菜、ほうれん草、大根など様々な種類の野菜を生産している。
「『がんこ』さんとは仲卸の紹介で10年くらいの付き合い。うちの野菜を、会席料理に使ってくれてるみたいですわ。」とのこと。にしかわ農園は、「がんこ」をはじめとする契約栽培、スーパーや生協、漬物屋など業務筋への取引を主力とする。取材時はちょうどネギの収穫。梱包から出荷まで、一連の作業で大忙しの様子であった。
若い農業者との交流
光一さんが農業をはじめたのは21歳の時。親の手伝いとして当時は米と果樹を作っていた。ほどなくお隣の堺市4Hクラブに入会して野菜づくりを学んだ。若い農業者の集まりに大きな刺激を受けたことから、地元にも後継者の集まりが必要と実感。5人の仲間とともに和泉市4Hクラブを結成した。
4Hクラブとは、よりよい農業をめざす組織。4Hは、Head(頭)、Heart(心)、Hands(手)、Health(健康)の頭文字。野菜の生産に魅力を見いだし、畑作へ大きく舵を切ったのが30歳。充実した青年農業者時代を過ごした。
親が「好きにせえよ!」と言うてくれた
若くして両親から農業経営を引き継いだ。経営を任されることはやりがいにつながるとともに大きな責任を負うことにもなる。光一さんは、自らの農業経営を積極的に進め、生産規模を拡大させていく中で、縁があって生協の出荷クラブに加入、出荷がはじまった。生協のこだわりに合わせた栽培方法も導入した。
「生協組合員と生産者にプライドがあった時代です。苦労はしたが、おもしろかった。」生協への出荷は、市場に出すより収益率が高く、これがにしかわ農園の発展につながっていく。
大阪農業は大産地のような大量生産ではなく、それぞれの生産者がそれぞれの販路に合わせた作物を多様に生産していることが多い。消費者に近いから、求められる商品を提供するというマーケットインの考え方が根付いている。
「注文を聞いてからつくる。こっちも提案をする。そこから新しい売り方が生まれる」このやり方を実践してきた光一さんはまさに都市農業の生産者そのものだ。
時期を見据えた計画的生産
「新鮮なものを必要な時期に出荷する。年末には年末の商品を切らさんようにしてるんや。」卸売市場が品薄になるタイミングにも出荷できるように計画的な生産をしている。これが取引先からの評価を得ている。ただし、どこのバイヤーとも対等に話し合いができるように、大口だけに依存しない多様な販路を築くようにしている。
「どこの業界でもそうやろ?」と言われて、「農業は、商売でもある」ということを実感させられた。
ハウスでは、トマトの収穫時期が終わろうとしていた。水やりを止めて畑を乾かし、次は年末の葉物野菜を植え付けるそうだ。
ゆっくりと枯れていくトマトの木。この「最後のトマト」とでもいうべき時期に収穫される実が絶品である。「美味しいやろ。酸味のある美味いトマトを作るのがなかなか難しい。」とても美味しいトマトであるが、ベテランの光一さんは毎年勉強という姿勢を崩すことはない。